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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)3052号 判決 1983年9月19日

原告

遠藤裕之

原告

遠藤征子

右原告ら訴訟代理人

中本勝

藤原猛爾

被告

池田病院こと

池田鉄男

右訴訟代理人

林藤之輔

石井通洋

夏庄要一郎

間石成人

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1(一)の事実は原告遠藤裕之本人尋問の結果によりこれを認めることができ、同1(二)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、訓正の発病、診療契約の成立、訓正の入院から死亡までの診療の経過について検討する。

1  同2(二)の事実(本件診療契約の成立)並びに訓正が昭和五一年一〇月三一日午後五時三〇分ごろ被告方病院に入院したこと、右入院後、訓正が心のう炎と診断され入院治療を継続し、同年一一月一七日に退院したこと、退院後も通院治療を受けていたが同五二年二月一五日再入院したこと、同年三月一日には退院し、豊中市民病院に入院したこと、被告方病院への通院及び再入院期間中、被告が訓正に対し、X線検査、血清検査、投薬治療等を実施したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  訓正は、昭和五一年九月二四日ごろから、感冒に罹患し、川平医院で診察・治療を受けていたが、微熱が継続し、呼吸困難で喘鳴が時々あり、掻痒感がしたので、同年一〇月二一日ごろ、心のう炎の疑いがあるとして入院を指示され、被告方病院を紹介された。

(二)  訓正は、同年一〇月三一日被告病院副院長の診断を受けたところ、体温39.2度、血圧一一八/七八で咳嗽、喘鳴、頻脈があり少し呼吸困難を伴つていたので、同副院長も同様心のう炎の疑いを抱き直ちに入院を指示し、訓正は同日被告方病院に入院した。

(三)  同月二二日からは被告が診察を担当し胸部正面、側面のX線撮影、心電図、心のう穿刺液による細菌検査、血液髄液検査、結核菌検査、一般検査を施行した。その結果、X線撮影では、胸部左右二方向に各二五分の一四大の心陰影の拡大(通常は二五分の八くらいである。)が認められ、三横指程度、縦隔膜の右側に肥大していた。心電図ではⅡ、Ⅲ、AVR、AVF、V1ないしV6につき正常心電図と比較してQRS群が短くなつており低電位差ありと判断した。聴打診の結果は心臓の濁音界が拡大しており、心のうに水がたまつている疑いが持たれた。血液髄液検査では血液像には異常なく、白血球数にも著明な変化はなかつた。また、心のう穿刺では液が少量で幾分血性であつた。被告は、右検査結果と訓正の喘鳴、胸痛、心悸亢進の所見から急性心のう炎と診断したが、その原病についてはビールス性、結核性、細菌性を考えたのみで悪性腫瘍の疑いは抱くに至らなかつた。なお、同日及び引き続く同月二三日、二五日に実施された結核菌検査の結果は陰性であり一般細菌検査でも原因となるべき有力菌は検出されなかつたので、被告は、ビールス性、細菌性疾患を前提に、カンフェナール(強心呼吸興奮剤)、リラシリン(合成ペニシリン製剤、抗生物質)等の注射を施行するとともに、ブレドニゾロン(合成副腎皮質ホルモン)、ケフレックス(セファレキシン製剤)、セザミン(強心剤)等の内服を指示し、以後退院までほぼ同様の治療を継続した。

(四)  被告の治療の結果、同月二二日には胸部打診上、右背部・中部において軽濁音及び水泡音(ラッセル音)が聴取されたが、呼吸は促進し自覚症状、食欲ともに良好で、午後より下熱し、同月二四日には右前上部呼吸音もほぼ正常となり、同月二六日心陰影は正常値と近い二五分の一〇大に縮少するなど訓正の症状は全般に軽快の方向に向つた。なおその際、被告方病院の吉川医師が肋膜炎の変形でないかとの診断をしたため、被告は万一結核性である場合に備えてストレプトマイシン(抗結核剤)を投与した。訓正の気分は良好で、心悸亢進、胸痛の訴えはなくなり、同年一一月一日、心陰影は二五分の九大に縮少し、呼吸音はよく聴取され同月五日、心電図上頻脈の改善が認められ、同月九日、心陰影は更に二五分の8.5大に縮少したので、被告は、心のう炎としては症状が改善されたと判断した。そしてその後も全身的に蕁麻疹を生じたり、心電図上軽度の低電位差を示し、心悸亢進を訴えることもあつたが、訓正の気分、食欲ともに良好であり、ラッセル音、心雑音ともに聴取されなかつたため、同月一七日、原告らからも退院の希望があり、被告はこれを認め訓正は、同日、被告方病院を退院した。

(五)  右退院後も、訓正は、同月二九日から昭和五二年二月一四日まで二一回にわたつて被告方病院に通院し、被告の診察・治療を受けた。訓正は、退院直後に腺窩性扁桃炎に罹患し、発熱・咳嗽等を訴えていた。昭和五一年一一月二九日及び同年一二月一三日施行の胸部X線撮影の結果では、心陰影が同年一一月九日の状態に比べて少し大きくなり、更に同年一二月二七日には同月一三日の状態よりも心陰影が大きくなり、徐々に悪化の傾向を示した。そして、昭和五二年一月に入り、訓正は、時に乾いた咳嗽、胸部痛、頭痛、発熱等を訴え、同月八日施行のX線撮影の結果では、心陰影は二五分の一〇大と昭和五一年一二月二七日の状態よりも更に拡大し、昭和五二年一月二〇日の心電図では低電位差と頻脈を認めるに至つた。そして同年二月になると、訓正は、時々高熱を出し呼吸は息苦しく息切れ等を訴え、同月一四日施行のX線撮影の結果では、心陰影が二五分の一四大に拡大し初診時と同程度の状態に戻つているのみならず、更に像上、右脇上葉と下葉との間に水がたまつており、葉間胸膜炎を窺わせる像が表われていた。そのため、被告は、心のう炎の再発及び胸膜炎の併発を疑い、訓正に入院を指示し、同人は同年二月一五日被告方病院に入院した。なお、右通院中の治療は、入院時とほぼ同様の治療方法であつて、抗生物質、副腎皮質ホルモソ、強心剤の投与を継続した。

(六)  訓正の再入院時の主訴は微熱と下痢であり、顔面は浮腫状、胸部は右前上中部、右背上、中部、側胸部に打診上濁音を呈しており、呼吸音はほとんど聴取されず、咳嗽、頭痛、胃部痛があつた。被告は、前日のX線所見と合わせて胸膜炎を併発しているものと診断し、治療として、モリデックス(リンゲル等補液剤血液代用剤)、プロセミド(利尿降圧剤)、カンフェナール等の点滴及びアーツェ(止血剤)、ELS(血液代用剤・電解質液補液)、カコルボキシラーゼ(ビタミンB1誘導体製剤)等の点滴を行うとともに、ザルソナール(解熱鎮痛鎮静剤)、ヌトラーゼ(ビタミンB1誘導体製剤)を静脈注射し、ストレプトマイシン製剤を皮下注射した。それ以後も、被告は同様の治療を継続し、随時、強心剤も付加した。しかし、訓正の症状は好転せず、訓正は胸部の左前中部に疼痛を訴え、顔面は浮腫状で、便はやや下痢状であり、食欲不振であつた。そして胸部は右前上中部、右背上中下部に打診上濁音を呈し、呼吸音は弱く、特に右側は聴取されず同月二一日には、嘔気及び心窩部の疼痛を訴え、同月二三日には、午後六時一〇分に喘息が発生し全身発汗を訴え呼吸が荒くなつたため、被告の指示でイノリン(気管支拡張剤)、メチエフ(前同)、アンナカ(強心剤)を皮下注射し、発作は一応おさまつた。しかし、訓正は同月二五日、嘔気、嘔吐及び血痰を軽度に訴え、咳嗽は若干減少したが呼吸促迫及び右胸部の鈍痛を訴えたので胸部X線撮影の結果、心陰影はさほど変化はなかつたが、胸膜炎は同年二月一四日の状態より明らかに悪化していた。このころになつて、被告は訓正の病状が好転しないので、原病として結核や悪性腫瘍などの別な病気の可能性を考え、とりあえず結核菌検査を施行したが、その結果は陰性で異常はなかつた。

(七)  同年二月二六日、訓正の症状はさらに悪化し起坐呼吸は息苦しく、心悸亢進及び全身倦怠を訴え、胸部の右前中下部、右背部、中部、下部及び側胸部において打診上濁音を呈し、呼吸音はほとんど聴取されず、心陰影も更に拡大した。被告は、右原病が悪性腫瘍であるとの疑いを強め胸膜穿刺(フローベ)をして細胞診をする予定でその旨の指示をしたが、同年三月一日原告らの希望で訓正は被告方病院を退院したため、右検査をするに至らなかつた。

以上の事実が認められる。

原告らは、訓正の被告方病院に入・退院期間中における心電図所見には心のう炎と判定しうる低電位差は示していない旨主張し、証人木村弘子の証言中にも、訓正の昭和五一年一〇月二二日付け心電図が低電位差を示していないかのごとき趣旨の供述があるが、右供述自体、証人自身が心電図の専門家でない旨を断つた上、その根拠を何ら明確にすることなくむしろ断言を避けていることが窺われるのみならず、正常心電図と訓正の昭和五一年一〇月二二日付け心電図とを比較すると、<そ>の心電図のⅡ、Ⅲ、AVR、AVF、V1ないしV6のQRS群が顕著に短いことは優に認められるから、右供述はにわかに措信し難<い。>

3  次に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>

(一)  昭和五二年三月一日、訓正は被告病院を退院後、直ちに豊中市民病院を訪れ、外来で藤沢小児科部長の診察を受けた後、同病院に入院した。

(二)  入院後は木村弘子医師が主治医として診察治療を担当した。入院時の主訴は呼吸困難であり、胸部右呼吸音が弱く、心音は通常心拍数がなくほとんど聞こえず、また、腹部で肝臓が助骨の季肋部から四横指(QFB)程度肥大し触知可能で、圧痛があつた。外来でのX線撮影の結果胸膜炎が認められ、胸部右側に胸水がたまつていることが判明したため、木村医師は、水を抜くなめラシックス(利尿剤)を投与し、更に胸膜炎が感染性か癌性かを決定するための診断的処置として胸腔穿刺を実施し、約四〇ミリリットルの黄色液を採取してこれを培養・細胞診に回した。更に、ツベリクリン反応を実施した結果、陽性()だつたが強陽性でないので結核性の胸膜炎でないと判断した。

(三)  加茂内科部長は同月二日のX線撮影写真の像をみて、胸膜炎であつて心のう炎とは陰影が異なると診断し、更に藤原医師は原病として縦隔腫瘍、結核性胸膜炎の可能性を示唆した。同月四日、内科の心電図専門医が心電図上洞性頻拍のあることを指示した。心臓外科医の三田医師は、X線写真をみて、縦隔性腫瘍、そのうち、チモール腫(胸腺腫)、リソパ腫、奇形腫の可能性が考えられる旨示唆した。また病理から同月二日の胸腔穿刺した胸水の中から癌性細胞が発見されたとの報告があり、そのため、木村医師はステロイド投与を開始した。

(四)  右ステロイドの投与により同月五日、訓正は咳嗽があるも浮腫はなく、同月七日、食欲はあり、咳嗽は軽減し、胸部、上腹部痛はなくなり、顔色が良くなつてきた。木村医師は次いでコランチル投与を開始し、同月八日、咳嗽は軽減し、乳酸脱水素酵素(LDH)の値が一三七〇(正常値は四〇〇以下)と異常に上昇し、しかも、グアノシソ3燐酸分解酵素(γ―GTR)が三六と肝臓固有の酵素は上がつていなかつた。そのため、木村医師は、悪性腫瘍を疑い、更に病理でパパニコロー染色試験を実施したところ、プラス五であつたため、胸水の中の細胞が悪性細胞であることが明確となつた。そこで木村医師は、悪性のいかなる病気かを確認するため、生検と骨髄穿刺の実施を指示し、その結果、同月九日、頸部及び補助リンパ節は触知できなかつたが訓正が悪性リンパ腫に罹患している可能性が高いと確信し、治療として、放射線投射、オンコビン(抗悪性腫瘍剤)、プレドニンを考えた。木村医師は、同年三月一一日、胸腔穿刺をして約1.4リットルの液を採取しこれを培養・細胞診に回すと同時にX線断層撮影を実施したところ、同月一日の状態では右側に胸水がたまり心陰影の境界は不明確だつたが、採液により初めて縦隔洞の陰影が現われた。その後、三田医師により穿刺生検を実施された。訓正は採液後圧迫感がなくなり気分が良好となつて食思があるという徴候が現われ、油谷医師によりリンパ球性リンパ腫(胸線?)と思われる腫瘍があるとの病理組織検査の結果が出たので、木村医師は、悪性リンパ腫の確定診断をつけ、同月一八日からオンコビンを投与し、以降五月二〇日まで週一回静脈注射を続けた。

(五)  同年三月一七日にX線撮影をしたところ、縦隔洞の上部で気管支が右から左へ押される圧排が認められ、同月二四日、右腋窩リンパ節を触知することができ、右腫瘍の転移を窮わせた。木村医師は、右転移を防ぐため、同年四月七日、訓正を吉村医師のX線科に受診させ、吉村医師は一回一五〇Rで総計三〇〇〇Rの予定で同月七日から放射線(コバルト60)療法を開始した。その後も引き続きオンコビン投与や放射線治療を行つたところ、訓正の症状が次第に改善したので、五月一三日にはコバルト照射を終了し、その後一か月位維持療法に変え、エンドキサンや6MPの投与を行つた。

(六)  ところが、再び悪化して結局以後は改善せず、訓正は、同年一一月三日午後二時四五分に死亡した。死因は悪性リンパ腺腫に起因する肺炎であつた。

三被告の債務不履行責任について

原告らは、訓正にはリンパ腺腫ないしはこれを含む縦隔(洞)腫瘍の早期症状があつたことを前提として、被告がこれを看過し、安易に心のう炎と診断し適切な治療を怠つた点に注意義務違反があると主張するので、以下判断する。

1  まず、被告が訓正を急性心のう炎と診断した点に注意義務違反があつたか否かについて検討する。

(一)  心のう炎の一般症状及びその併発症状につき被告の主張2(一)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、大阪大学教授山村雄一編、新内科学第三巻等には心のう炎につき、次のごとき記述がなされていることが認められ<る。>

(1) 心のう炎は心外膜の疾患のひとつであるが、普通原発性の疾患ではなく、多くは他の疾患に続発して起こる疾患である。急性心のう炎は、その原因疾患を加味して、ウイルス性(急性良性)、結核性、化膿性(細菌性)、リウマチ性、心筋梗塞性、尿毒症性及び悪性腫瘍による心のう炎などに分類される。その発生頻度は、急性良性心のう炎(主としでウイルス性)が最も多く、従来最も多いといわれたリウマチ性及び結核性心のう炎を凌駕している。急性良性心のう炎は、しばしば上気道感染に続発して起こり、ウイルス感染によるものと考えられており、若年者に多い。

(2) 心のう炎の自覚症状として、胸痛、呼吸困難(時に起坐呼吸)、咳嗽、嗄声、嚥下困難、発熱、悪寒、易疲労性、体重減少、食欲不振などがみられ、他覚症状として、胸部所見上、心膜摩擦音、心濁音界拡大(滲出液貯留が大量になる場合)、心音微弱、エヴァート徴候又はピン徴候(大量の心膜滲出液が肺を圧迫することにより起こる徴候)がある。心圧迫徴候(心タンポナーデ)として、静脈圧上昇、血圧下降→脈圧減少、心拍動微弱、頻脈、肝腫大、腹水、浮腫、奇脈がある。また全身徴候として、不安、苦悶状、チアノーゼを示し、時に蒼白のこともある。心臓(胸部)X線所見では、貯留液が二〇〇ないし三〇〇ミリリットルを超えると、X線像に変化がみられ、まず最初は心陰影の両側下縁の膨(拡)大を認め、さらに液量が多くなると各弓の区別が不明瞭となり、西洋梨形又は氷のう形となる。心電図所見では、急性期の早期にSTの上昇がみられ、心膜内滲出液とともにQRS群の高さが低下し、低電位差心電図を示すようになる。心膜滲出液の証明は心膜穿刺によつて行われ、その性状あるいは病原菌の検索によつて原因疾患を確診することができる。

(3) 心のう炎の治療は、基礎疾患に対する治療が根本方針となる。結核性心のう炎に対してはストレブトマイシン、ステロイドホルモン剤などによる化学療法、リウマチ性心のう炎にはサリチル酸剤及び副腎皮質ホルモン剤、化膿性心のう炎に対してはペニシリンその他の抗生物質を用いる。

(二) そして、<証拠>によれば、被告は、昭和五一年一〇月二二日に訓正を診察し、種々の検査を施行した結果、①訓正が一か月ほど前から感冒に罹患していたこと、②喘鳴、胸痛、呼吸困難、心悸亢進等を訴えたこと、③聴打診上、心臓の濁音界の拡大がみられたこと、④胸部X線撮影の結果、心陰影の拡大がみられたこと、⑤心電図上低電位差を示したこと等の臨床所見や検査結果に基づいて、訓正を急性心のう炎と診断したことが認められ、かつ、被告が右診断の根拠として挙げた右各事実が現実に存在したことは前記二2の認定のとおりであり、更にその後胸膜炎を併発していることが明らかであるから、訓正につき心のう炎が発症していた可能性を全く否定することはできない。そうであれば、被告が訓正に対し急性心のう炎の診断をなしたことは、その限りにおいて誤りであつたということはできない。もつとも、原告らは、訓正の感冒症状、臨床症状は必ずしも心のう炎に特有の症状ではなく、心のう炎、悪性リンパ腫を含む縦隔洞腫瘍等の疾患に共通する臨床症状にすぎない旨主張するが、悪性リンパ腫や縦隔洞腫瘍特有の臨床症状については本件証拠上必ずしも明確にされていないうえ、また、仮に共通の臨床症状であるとしても、被告が急性心のう炎と診断したのは右臨床症状のみからではなく、胸部X線撮影や心電図等の諸検査をも総合して判断したものであることは前記認定のとおりであるから、原告らの右主張を採用することはできない。

また、一〇月二二日施行の胸部X線撮影の結果につき、原告らは心のう炎の所見を示していない旨主張し、証人木村弘子の証言中には右に沿う供述があるが、右供述は、必ずしも心のう炎の可能性を全く否定する趣旨ではなく、縦隔洞の悪化や心臓の疾患を窺わせるがそれがいかなるものか不明である旨の趣旨にとどまるから、被告の心のう炎との診断を誤りとする根拠にはなりえないというべきである。

2  次に、前記1(一)の認定のとおり、心のう炎は普通原発性の疾患ではなく、その治療は原因疾患に対する治療が基本となるから、被告としては右原因疾患をさらに究明すべき注意義務があることはいうまでもない。しかして前記認定事実によれば、被告は右原因疾患究明のため諸種の検査をなし、右検査の結果、原因としてウイルス性細菌性疾患を前提として治療を継続し、昭和五二年二月一四日ごろにようやく右原因疾患が悪性腫瘍等によるものであるとの疑いを持つに至つたものである。そこで被告の右検査過程において注意義務違反があつたか否かについて検討するに、

(一)  まず、昭和五一年一〇月二二日の心のうの試験穿刺において、採取液が幾分血性であつた点につき、被告は右原因は穿刺針が血管を破つたため、採取液に血液混入したにすぎない旨供述するが、カルテ上に右供述を裏付ける記載はないから、右供述はにわかに措信し難い。しかして前記記述によれば、採取液は原因疾患確診のためこれを検索することになつているから、少くとも被告が右血性を生じた原因を究明しなかつたことは妥当ではないというべきである。

(二)  <証拠>によれば、訓正の入院直後のX線撮影写真上に、正面鎖骨上部又は縦隔洞上部に陰影が写つていることが確認されるところ、その原因として腫瘍の場合も考えられ被告もその可能性を肯定していることが認められる。しかして前記認定事実によれば、豊中市民病院において訓正の胸腔穿刺をして採血をなした結果、初めて縦隔洞の陰影が明確に現われたというのであるから、被告においてもまず前記写真によつて腫瘍の存在を疑い、これをさらに明確にさせるため胸腔穿刺の措置を採ることができたものと推認される。

(三)  訓正の第一回の入院中、その心陰影は被告の治療により日毎に縮少し軽快したこと及び右治療のためブレドニゾロン(副腎皮質ホルモン)等が使用されたことは前記認定のとおりである。そうであれば、心のう炎の治療は原因疾患の治療であるから、被告においては右ブレドニゾロンが効果を有したであろう腫瘍についてもその原因を考慮すべきであつたと思料される。

(四)  被告方病院内部においても、訓正の症状につき胸膜炎の変形ではないかとの診断が出た程、右症状は異常であつたものであるから、前記認定の豊中市民病院における訓正に対する診断、治療、各所見と対比すると、被告においても、本件心のう炎等の原困疾患につき腫瘍を疑うことは一般的にみてさほど困難なことではない。

以上の諸点を考察するに、被告において右各所為を履行していたならば、少くとも本件悪性リンパ腺腫の存在をより早期に疑うことができたであろうと抽象的には一応考えられるところである。しかしながら、本件全証拠によつても、本件悪性リンパ腺腫がいつ発症したかについては全く不明であり、更に、証人木村弘子の証言によれば、腫瘍の進展度(ステージ)には一期ないし四期があるところ、訓正は昭和五二年三月一日の診察時、その進展度は二ないし三期にかかつており、既に主部位(発生部位)からの転移が始まつていたこと、一期は特定の原発巣に初発する段階をいうが、一期から二期に進むにつき定まつた期間はないこと、一期の時点で腫瘍の診断をすることは稀であり、おおむね発見されるのは二期以降であることが認められる。そうであれば、被告が本件初診時はもちろんのこと、その後の約四か月の短期間に訓正の悪性リンパ腺腫を発見しその旨の診断をなし得た可能性は極めて少なくこれを被告に期待することは被告に対し酷であるから被告に前記のごとき当を得ない行為又は不作為があつたとしても、いまだこれをもつて注意義務違反と認めることはできないというべきである。

3 以上の次第で、被告が訓正に対し心のう炎と診断したこと、右診断について治療をなしたこと、そしてその過程において訓正を悪性リンパ腺腫又は縦隔洞腫瘍等の疾患の診断をなさなかつたことについて、当時の医学水準に照らし誤りであつたものとはいまだ認め難いから、結局、被告には債務不履行責任はないものというべきである。

四因果関係について

仮りに、被告に前記三の2に認定した限度で注意義務違反があつたとしても、被告が訓正に対して約四か月間にわたつてなした治療行為そのものはいずれも適正であつて、診断疾病名の如何にかかわらないし、悪牲リンパ腺腫等に対する治療行為としても、これに資するこそすれ、有害であつたものとは到底認められない。しかして、証人木村弘子の証言によれば、悪性リンパ腺腫は白血病に移行する確率が高く、その予後も極めて悪いことが認められるほか、豊中市民病院の約八か月余りの訓正に対する適切な治療にもかかわらず不幸な転帰をみるに至つた事実を考察すると、被告の前記義務違反がなければ訓正が死を免れたとか、その死期を相当期間遅らせることができたものとはいまだ認めることはできない。よつて、被告の過失と訓正の死亡との間の相当因果関係を証拠上認めることはできずこの点においても原告の主張は理由がないものといわざるを得ない。

五結論<省略>

(久末洋三 三浦潤 中本敏嗣)

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